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『郷愁という惑星?』ステートメント「見えなかった道が見える、止まない雨を和らげる(止ませる)」

ここ数日の一連の流れに、精神が削られる思いがあります。

政府の杜撰な対応に始まり、数多くのイベントの中止や延期、マスクの買い占め・転売、根拠のない噂によるトイレットペーパーの売り切れなど、今この瞬間も、大きく世間がゆれ続けています。


三月末に控えておりますこの演劇公演は、先日発表させていただいた通り、現段階では公演を行う方向です。しかし、日々、中止あるいは延期の可能性を検討し続けています。そんな不安定な気持ちのまま、出演者・スタッフ全員でのクリエイションをしております。


稽古は話し合いが中心です。

先日は、演劇の機能について、再検討をしました。

一体、今の私たちが演劇を行うことで起こる効果とは何か。

はたして今、演劇を行うべきなのか。


様々な検討を重ねる上で私の中で出た結論としては、


「想像力とコミュニケーションのために、私たちは演劇を行う。」

という回答でした。


今回の公演のステートメントでは、演劇における想像力とコミュニケーションについて自分なりの意見を述べることがふさわしいと考えました。


・想像力 観劇をしていると、何かを考えている時間やタイミングがあると思います。例えば、「これはこういう意味なのかな」と思ったり、「こういうことが起きたら、自分だったらこうするだろうな」とか、「この会場に来る途中にあった、あのお店に帰りは行こうかな」と考えたりすることがあると思います。何かを鑑賞して、それに対して何かを思う行為や感情そのものが「想像力」です。


私たち譜面絵画は団体のプロフィールの中に、このような文章があります。


”現実(社会)と虚構(作品)のあいだに流れるものは想像力である”と定義した上で作品を作り続ける。作品の内外に存在する現実(社会)を応用し、新しい想像力を喚起できるかを模索するために、 ギャラリー、寺院、スタジオなど、劇場だけではなく、様々な空間でのクリエイションを重ねる。 想像力とは、観客(心象)、虚構(作品)、現実(社会)を往来するものだと考える。この想像力の往来を利用し、その流れ方を理解することで、環境・時代に即する作品制作・芸術的体験性を適切に召喚することを狙う。


その中でも、


想像力とは、観客(心象)、虚構(作品)、現実(社会)を往来するものだ


という考えについて、今回の作品でも、深く取り組んでいます。

この文章を噛み砕くと、演劇作品を見て、こうだなって思う瞬間に、実は、会場に来るまでの道や、最寄りの駅、自分の中にある価値観、世間一般の常識などを元に、想像力が働いていることがある、ということです。一般的には、観客と作品のあいだにのみ想像力があると思われるかもしれませんが、作品にも観客にも前提として空間や環境、土地があり、作品の中で起こる想像力は、現実や社会と言った文脈の上に成り立っていることがほとんどだと考えます。


また、演劇作品を見て、こうだなと思うときに、社会を前提として想像力が働くと書きましたが、 実は、どんなときにも想像力は働いています。想像をすることで新しいアイデアが出来るように、それぞれの個人が想像力を働かせることで、現実や社会はより良くなると信じています。身近な具体例を挙げると、Twitter 上での心のない発言が減ると思います。それぞれの想像力によって、人を人だと思わずに攻撃をしているツイートは減るはずです。今回の作品では、人を人だと思わないことや、人vs物、人vsアンドロイドやAI、人vs自然のように、会話のベースが人間で語られてしまっていることについての言及をしていきます。

じゃあ、どんなときも想像力は働くのに、どうして演劇をやるんですか?と思うかも知れません。 それに対する回答は確実にあります。演劇とは、映画やテレビ、本といった他の媒体に比べ、アナログな表現だと思います。開催されるのも期間限定で、わざわざ日時を決めて(ここまでは映画と同じ)、会場に行き、そこで「生」で鑑賞をしなければなりません。観客も出演者もスタッフも同じ場所で時間を共有しなければなりません。つまりは、体験(ライブ)性と呼ばれることに演劇の価値があるということです。そこで、音楽ライブとは何が違うんですかと問われるならば、体験を浴びること(受動的)が音楽ライブで、演劇は、自主的に想像をし、何かを獲得しに行こうとする(能動的)点において強みが違うと思います。これは次の項でも触れます。


・コミュニケーション つまり、体験(ライブ)性とは、情報量の違いでもあります。例えばオンラインのコミュニケーションと比べると、実際に人が集まる形のコミュニケーションは違った形だと思います。何が違うのでしょうか。よく、現実のコミュニケーションはオンライン上よりも濃いと言われますが、それがつまりは、情報量の違いだということです。オンライン上では、文章だけでの会話になったりします。映像を出しての会話もありますが、同じ空間はシェアしていません。実際に会って話をする(コミュニケーションをとる)ことは、話している相手の服の素材の質感や、その空間の温度は暖かいか寒いか、そのとき飲んでいるコーヒーの匂いはどうなのか、といったように、条件のように情報量がありふれています。映画でも4DXといった形だったり、匂いが出てくる仕組みになっていたりしますが、どれも臨場感といった言葉で説明がされています。つまりは、現実の情報量に近づけようとしているわけで、考え直すと、そこに棲み分けや、演劇の特性を語るためのポイントがあるというわけです。未来、映像の精度や、3Dで映像が出るようになったとして、そこで起こる体験は、情報量としては遜色がないかもしれません。ただ考えられるのは、現実の方が情報量として多く、現実を目指して、ポータブルにするために臨場感を語って作られているものがあることを忘れない方が良いということです。想像力の項でTwitterの話題をあげましたが、丁寧なコミュニケーションを作ることがどれだけ難しいかというのも、バズったツイートのリプ欄を見ているとよくわかると思います。


・最後に フライヤーの文章にも書いてありますが、今回の作品は、高校生の卒業公演として書いた台本が元となっています。あの頃は千葉県から東京に対する思いとしての色が強かったですが、今回は横浜から、東京および千葉県を含むその他の県や街について考える作品を発表します。東京から少し離れて、過去を参考にし、未来を想像しながら、現在の私たちがどのように振る舞うべきなのかといった作品を発表したいと思います。


さぁ一体、今の私たちに、演劇は何をもたらすでしょうか。 今回の騒動はいつになったら収まるのでしょうか。これからオリンピックは夏に行われるのでしょうか。5年後の大阪万博はどのようになっているのでしょうか。


この演劇は、考えるために存在しています。


このタイミングでしか、この状態でしか体験できない想像力が積み上がります、会うことで味わえる情報量を最大限に楽しんでください。自信を持って言いにくい状況ですが、ぜひとも、お越しください。


想像力は、コミュニケーションは、今の私たちに確実に必要なはずです。

観劇体験を安心・安全に出来るように万全に準備をした上で、STスポットにて、お待ちしております。




譜面絵画 代表 三橋亮太

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