創作日記 #4


創作日記の4回目です。

前回予告した通り、まとまった文章を投稿したいと思います。



①は、web記事として掲載する時に書いた文章を短くする前の原文です。

②は、①で書いた一節をもっと考えてみた場合の文章です。


①____________

はじめまして。

今公演にて、脚本・演出・宣伝美術をしている三橋亮太です。

僕は今、20歳です。生きることについて、素朴に思いながら日々を過ごしています。

それは将来のことであったりもですし、友達と鍋をしたり、電車の中から見えるイルミネーションを見て綺麗だなーって思ったりもします。つまりはぼんやりと過ごしてます。


ぼんやりとした中でも考えてしまうことは、最初に挙げた通り生きることや、生活のことで、その中でも、現在および未来の生活についてです。

鴨長明『方丈記』の冒頭の一節、

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」

の続きには、

「世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

という一文があります。動的平衡を示唆するこの本は1212年に書かれました。方丈記の続きを読むと分かるのですが、当時のこの頃には、様々な自然災害や人災があったことから、このようなミニマリスト的な思考が生まれたようです。


3.11が起きた当時の僕は中1でした。今年の3月の終わりに陸前高田市に行きました。今年の夏には地震や台風や豪雨など様々な災害が起きました。そして同じく今年の夏から僕の中にも少しずつ、ミニマリスト的な考えが流れるようになりました。物を持つことは豊かなことだが、それを失うことは何にも耐え難いことと感じるからです。それと反対に、住まいをどっしり構えて、その土地に永住するつもりでいることでその家や街に親しみを抱き、拠り所を持つこと。このどちらも素敵だと思います。

ただ、災害を起こそうとも、自然はそれでも美しいです。それが昔からの美観であり、これからもここは変わらないはずです。


将来の話に戻すと、長生きをしても、きっと年金制度は崩れているだろうし、そもそも日本に住んでるかさえ分からないし、日本という国家が維持できているかも分かりません。ただ生まれて過ごした国や土地や街は、さっきも書いたように、慣れ親しんでいるから好きです。

こんなに下り坂で未来が無いような状態でも、将来への希望を、僅かでも持っていたいです。それは私たちが中年になった頃の未来は、苦しく辛く、窮屈な未来であって欲しく無いからです(次の世代のことを考えられるほどまだ大人じゃ無いです。)。そのためにちょっとずつでも、何かを考えていたい為の演劇です。これは僕だけの問題ではなくて、カンパニーメンバーも観ていただくお客さんも含めた、全員野球の演劇です。


演劇的想像力をフルに活用して楽しんでいただける公演になると思います。

目の前で流れる、短く切り取られているけれど人生と等身大の演劇を観て、何かを感じてもらえれば幸いです。

ご来場お待ちしています。


②____________

自然が美しいと感じる。

それが昔からの美観であり、ここはこれからも変わらない。


人工物は、実用的なものの上に美しさがある。

実用的ではないものに美しさを感じることもあるが、それは自然に対しての思いと近いと考える。根源的に美しいと思うものだから。

まとめると、

人工物に対しては、理性的に美しいと感じる?

自然物に関しては、直感的に美しいと感じる?


忘れてはいけないことは、

美しいものは全て芸術作品ではなく、

芸術作品の全ては美しいわけではない。ということ。


ただ私たちは自然を作ることはできないけど、海とか、湖に映った自然を作ることができるかもしれない。

もし、映した私たちのものと、自然が混ざり合ったり、共に自然を同時に見ることができたら、人間や自然を超越した至極の感動が生まれのかもしれない?

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以上です。次回はまだ未定ですが、更新していきたいと思います。